第2話 精霊伝承
孤児院に入って数日が経った。
最初は「1日だけ」という許可だったが、そんな物はあっさり破られて俺は居座っている。
見知らぬガキを追い返せなかったのに、一晩泊める間に健気に働いて必死にアピールするガキを捨てられるワケがなかった。いや、俺がそうさせなかった。
少なく貧しい食事、大して暖かくも無い部屋。だがそれでも、スラムでは考えられなかった安心という快適さがあった。
ヴィンを失った今、俺はここを手放すわけにはいかない。何でもやるぞ。
孤児院の連中のことも少しずつ理解してきた。
院長はあの日話した婆さんでグレタという。甘いところもあるが、不興を買うわけにはいかない相手だ。
最年長の男ラグナル11歳。乱暴者の問題児で馬鹿なやつ。
その影に隠れる男がレオニス10歳。スラムでよく見たタイプで、ラグナルによりかかりながら舌を出しているやつだ。
イリーナは院長の手伝いを積極にやっている女10歳。面倒見はいいが賢くはない。
ラグナルやレオニスにちょっかいをかけられて泣くのがユイ6歳。
逆に二人の男に媚びて笑っているのがリリア9歳。
そして、いつも落ち着いていて賢いのがテオだ。10歳。
今はこの6人の子供と院長のグレタ、そこに俺が加わって8人での暮らしである。
◇◆◇◆◇
俺は最年少の新入りレオンハルトだ。スラムでのネスという呼び名は捨てた。6歳としたが、名前も年齢も自分で決めたものでしかない。
グレタの言いつけを守り、イリーナを補佐し、ユイを守る。
ラグナルとレオニスが下らない嫌がらせをしてくるが、反抗はしない。ガキの遊びに付き合ってられるか、気に入らないならナイフでも持って来い。
テオとの会話だけが俺の癒しになっていた。
テオは頭がいい。スラムで生き抜くことしか知らなかった俺に、沢山の事を教えてくれる。
それが嬉しくて仕方なかった。テオの話はいつも俺の心を踊らせた。
ある日、昼下がりの庭でテオと二人きりになった。
小さな木製のベンチに座り、俺は聞かれた。
「レオン、将来どうなりたい?」
答えに詰まった。金と力なんて口にできない。何より、どう生きたいかを言葉にするほど、俺はまだ何も知らない。
テオは静かに微笑み、遥か昔の孤児院出身だった英雄の話を始めた。
彼は最強の冒険者と呼ばれて大成し、精霊を使役して邪悪な竜を打倒した。そして竜の財宝を持ち帰り、国を興したという。孤児院を出た者が、ただの子供から英雄になった物語だ。
俺の胸の奥で、何かが弾けた。
――これだ。俺もあそこに行く。冒険者になろう。孤児院からは学校に行けないが、暴力で戦う冒険者なら道は開ける。
それからも、テオにいろいろなことを教わった。冒険者や魔法とは何か、町の外にいる魔物について。他にも文字や算術、魔力の存在。そんな知識の断片。それを覚えるだけで、少しだけスラムの自分より賢くなった気がした。
そんな楽しいこともあるが、孤児院での生活に余裕があるわけではなかった。
食べる物はスラム時代より悪いし、俺達には僅かな金すら無い。年長者は街で仕事という名の奉仕をさせられ、最年少組の俺とユイの役割は、院内の掃除や小さな畑の手入れだった。
ユイはいつも俺のそばにいた。ラグナルやレオニスに絡まれるのを守っている内に、自然と懐いてくるようになったのだ。
今日も二人で院を掃除している。手抜きはしない。どんな些細なことでも上手くやり、有能さを示す。
「レオン、きょうは畑の方に行く?」
掃除用のほうきを抱えた小さなユイが、俺を見上げてくる。
「そうだな。水はやったが、草むしりをしておいた方がいいだろう」
「じゃあ、一緒に行く」
「いや、ユイはそろそろ休憩しよう。今日は日差しがきつい。畑は僕に任せて」
「うん……わかった」
ユイには無理をさせず、掃除の後には昼寝をさせておく必要がある。まだガキだからな。
俺は一人で外に出て、畑の手入れを始めた。
余分な雑草を引っこ抜いて脇に積む。この余分な雑草って孤児院に入り込んだ俺みたいだよな。引っこ抜かれないように気をつけよう。
草むしりは単調で、腰が痛くなるばかり。ため息をついたとき――視界の端に、光が揺れた。
実をつける前の花、その上で何かが寝ている。
……人間?いや、違う。手のひらほどの大きさ、透きとおった羽、緑色の髪がふわりと揺れる。思わず息をのんだ。
「……精霊だ」
お話の中の存在が、目の前に転がっている。
次の瞬間には、俺の中で欲望がうずいた。
どうしよう。捕まえて売っぱらうのが一番だと思うが、バレたら金は没収されるだろうし、立場も悪くなる。
精霊を使役したという英雄の話を思い出した。こんなチビ精霊でも役に立つのか?
わからない。だが、どんな力でも欲しい。
やっぱり売るなんて駄目だ、こいつを利用して俺は英雄になる。いや、物語の英雄よりもっと上に行く。
花の上で眠る美しい精霊。それをむんずと掴んだ。
「わぴゃー!な、何するのよ!離しなさいっ!」
「起きたか精霊。俺のものになれ。俺を英雄にしろ」
「いやーっ!消えたくないのですわ!助けてー!」
「消える?俺の物になれって言ってんだよぶち殺すぞ」
「よく見たら子供じゃないの!弱ってたからってこんなっ……もうおしまいですわ!わたくしは終わり!はいおーわり!」
うるさ……くはないな、小さいから。だが話が通じなくてイライラする。
「おい、お前精霊だろう。人間に使役されるのがお前の役目じゃないのか」
「そんなわけ無いでしょうが!醜い人間ごときが精霊であるわたくしを使役なんて――あぁっ!きたっ!」
「は?」
低い唸り声とともに、畑の向こうから影がのそりと現れる。
牙をむき出しにした、大きな蛇?目は赤く濁り、腹をすかせて獲物を狙うそれだ。
「おい、あれは……」
「っ、やだ、近づいてきてる!いやぁ!きえちゃうぅ……!」
精霊の身体が淡く揺らぎ始める。吸い寄せられるように、少しずつ小さな光の粒となり蛇の方へ。
「おい!消えそうだぞ!?」
「いやぁぁぁぁっ!消えたくない!消えたくない!こんな低級で下賤な醜い魔物に吸収されるなんて……!」
口悪いな、余裕があるようには見えないが。
手を緩めると、そのまま花の上に崩れ落ちる精霊。おいおい、お前は諦めたのかもしれんが、このままだと次は俺が襲われるんじゃねぇのか!?
「おい!しっかりしろ!どこか他で死ね!」
「……なんですってこのクズ!鬼畜!そうよあなたを利用しますわ!」
突然、精霊が俺の胸に飛び込んだ。
次の瞬間、光が弾ける。
血が沸騰するみたいに、全身が焦げるほど熱い。視界が一瞬真白に染まった。
身体が軽い。力がみなぎる。知らない何かが俺の中を駆け巡っているのが分かった。
だがそれに浸っている時間はない、大きな蛇、魔物?はこちらに標的を変えて飛び込んできた。
迫りくる牙、まずい!
だが、予想に反してその動きはとてもゆっくりに思えた。軌道をしっかりと確認して紙一重で回避する。
目標を外して、再び首をもたげる蛇。だが今の一撃で確信した、こいつは遅い。いや、俺が早いんだ。体を駆け巡る何かが力をくれている。
再度の噛みつき。それを冷静に見つめ、カウンターの拳を叩き込んだ。
スラムでは体が小さいからと言って保護なんてされない、みな容赦なく奪いに来る。それらに負けないために、力の弱い俺が磨いた必殺のカウンターだ。何人もの大人の股間を撃ち抜いてきた必殺の拳。
飛び込んでくる蛇の鼻先を正確に捉え、そのまま何かを砕いた手応え。嫌な音と共に蛇は地に伏せ、動かなくなった。
荒い息を吐きながら見下ろすと、胸の奥から声が響く。
「ひ弱な人間の子供かと思ったら、意外とやりますね。醜い男や変な動物よりマシかも。あなた、私の物になりなさい」
「お前が俺の物になるんだよ!」
「下品ですわね……躾が必要です」
不本意そうに俺の中に居座る精霊。
だがこの瞬間から――俺とこいつは、かけがえのない相棒になった。
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